わたなべさんの青いめがね

点訳ボランティア23年目です

2月15日 哀悼 明るい兆し?

 昨日2月15日。朝から強い雨。夜勤明けて通院のガイドヘルプ業務を行なって19時半仕事終了。家に帰って、葬儀の仕度。

 先週2月8日、祖母が98歳で逝去しました。コロナ禍での葬儀は通常よりも簡略で一日葬で行いました。2000年に入ってから認知症を患い時間が経つにつれ記憶が消えていく様を近くから遠くからみてきました。その間父が他界し、施設へ入所、大腿骨頸部骨折経験、1月下旬入院昏睡状態。もうほとんど私らのことも誰だかわからない状態でしたが、大正・昭和・平成・令和と4時代を生きることができたことをまず孫として嬉しく感じています。ここ何年かは全く面会に行けず、出棺の時に最後「ありがとう」と言って送りました。本当だったら生きてる時に言わなきゃならなかったのに、なんかずるいなあと後ろめたいものも感じてますが、ぜったいに言わなきゃならないこれまでのことへの感謝の一言を言えて少しほっとしました。
 実を言うと昨年、「今年(2020)身内の誰かが他界するんじゃないか」と不安でいました。コロナのことも含めて。これまでの人生をたどると1990年に祖父が他界、2000年に母方の祖母が他界、2010年に父が他界それで2020年・・・と恐る恐るな思いでいたのですが、そんな暗いジンクスは外れて祖母は今年逝きました。先月に98歳の誕生日を迎えて・・・最後に祖母が私を縛っていたくだらないジンクスを取っ払ってくれたのかなあと「そんなことを考えないでしっかり行きなさい!」と言ってくれてるような気もします。
 なにか特別な恩返しはできなかったけど、今は「ありがとう」と心の中で唱えて、自身の福祉の業務に一意専心していくことで恩返しとしたいと思います。

 昨日の行程を紹介

 朝9時過ぎ夜勤明け。グループホームを出て雨の降りしきるなかガイドヘルプ先のグループホーム(同じ系列の)に向かう。途中、道端で財布を拾う!中には、現金・カード・診察券等。
 9時40分頃グループホーム着。ホーム長(私の上司の立場になる)に交番に届けてもらうようお願いしてガイドヘルプ開始。利用者を連れて耳鼻咽喉科へ。診察を終え、タクシーに乗り利用者の通所する生活実習所へ送る。
 10時50分頃ガイドヘルプ終了。葬儀まで時間があったので家に戻ることに。途中バーガーキングで昼食購入。
 12時前家着。昼食を済ませて12時20分出発。地下鉄乗車。乗った車両に叔父たちが乗っておりオオ奇遇!一緒に葬儀場へ向かう。久々の再会!ちょっと耳が遠くなったんじゃないか~失礼ながら感じちゃいました。
 13時半頃葬儀場着。説明等伺い母親たちと住職様を待つ。
 14時20分葬儀。外は雨が降りやまない。振り返ると祖父の時も祖母(母方)の時も父の時も雨でした。なんか縁があるのか・・・その後荼毘にふして16時半頃葬儀は終わりました。
 葬儀が終わって外を出ると雨は止み、あと数時間で暮れる陽が眩しく照らしていました。帰り道、空を見上げるとなんと虹があらわれまし🌈写真は撮れなかったけれど大きくアーチをつくって色もくっきりとまるで蛍光ペンで描いたの如く光沢鮮やか!🌈叔父が「いまあの🌈を渡って天国に行ってるよ」横ではしゃぐが如く私に言いました!祖母が最後にくれたプレゼントかもしれないな。今まで見た虹よりすごく濃く、くっきりと、鮮やかに陽のように輝いてました!

 明るかった祖母。昨日の葬儀から今こう更新している際も涙腺が緩みがちですが、こっちも明るくかえして笑っていかないと!

 「ほんとうにどうもありがとう。98年いろいろあったけれど立派でしたよ」

 祖母にこの歌を

   ・・・点字に表したいマイ・フェイバリット・ソング♪148曲目・・・

 

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 (訳)

 語ってくれ彼の生きざまを

 歌ってくれ彼女の栄光を

 険しい道選んだ彼らのその物語(ストーリー)

 明日を生きる僕らの希望となる

 

 伝えてくれ彼の優しさを

 讃えてくれ彼女の勇気を

 人知れず尽くした彼らのその愛が

 今日を生きる私の救いとなる

 

 教えてくれ彼の足跡を

 話してくれ彼女の悲しみを

 涙に耐え忍んだ彼らのその強さ

 未来を生きるあなたの力となる

 

 祝ってくれ彼の勝利を

 祈ってくれ彼女の幸せを

 夢追い続けてきた彼らのその笑顔

 共に生きる僕らの指標となる

 

 語ってくれ彼の思い出を

 歌ってくれ彼女の人生を

 語り継がれてゆく静かな伝説(レジェンド)は

 時を超えてみんなの誇りとなる

 

 竹内まりや「静かな伝説」の歌詞です

 今日東京は晴天!春の陽の如く眩しく温かい陽気です!