こんにちは。台風が気になるお盆になってしまいました。今日の東京は晴れ&曇り。今朝ガイドヘルプ業務を済ませて帰宅、グループホームの夕食作り、夕方の入浴介助相次いで当日キャンセル!今、家で点訳等して過ごしています。
今日、8月15日終戦記念日。なにかと振り返り偲び、気持ちを新たにする時。
私の年代は、戦時中を生きてきた人たちが身近に多くいて、戦争の時の話等聞く機会が幾多とありました。時が過ぎ、令和の時代を迎え、戦時を生きてきた人たちも年を取り鬼籍に入って当時の話を聞く機会が減りつつあります。
ふと思いだした戦争の話を紹介したいと思います。これは私が小4の頃のこと。当時通院していた眼科の待合室で順番を待っていたときのこと。隣に座っていたおじさん(見た目60代くらい)が私に話しかけてきました。
「ボクは家が近いのかい?」
「おじさんは上野(東京・台東区)から自転車こいできたんだよ」
「学校は楽しいかい?先生はやさしいか?」
と私に訊いてきました。
「おじさんの友達にね、学校の先生になりたかった友達がいたんだ」
「おじさんが戦争に行ってたときに、一緒の兵隊の仲間でね。学生さんでね、仲良くなって色々話をしたりしてね友達になったんだ。それで友達がね、日本に帰れたら学校の先生になるって言ってたんだ。勉強して先生になって子供たちと笑って毎日を過ごしたいって」
けど、
「戦争で大けがしてね、生きておじさんと帰ってこれたんだけど、けがで体が動けなくなって、可哀想に先生になることができなかったんだよね」
「みんなで笑いながら楽しい、戦争なんかない世界でいたいって言ってたよ」
となりでおじさんの話をだまって聞いて、
「おじさんは学校をちゃんと出てないから、先生なんかにはなれないけど笑って毎日過ごすっていうのは幸せなことなんだよなって思ったね」
「それでおじさんはね、なにができるかなあと考えてね、芸人さんの世話をする仕事をしようと決めたんだよ。芸人さん、皆を笑わして楽しませてくれるでしょ。そういう芸人さんたちを面倒みて頑張ってもらうための仕事をしてるんだよおじさんは」
興行師の仕事をしていたようですね。今、有名な芸人の世話もしたと言っていた覚えがあります。友達の方は教師となって笑いある世の中を築きたい、そして平和を訴えていきたい。しかしかなわず、このおじさんが興行師になって笑いを子供たちにあたえたいと。おじさんが友人の意思を叶えたんでしょうね。
おじさんは、
「勉強は好きかい?元気でいてちゃんと勉強すれば、ボクがやりたいと思ってることかならずできるよ」
と言ってました。あらためて思いだすと、そのたびに涙腺がゆるんでしまいます。ウクライナ情勢等映像を見て戦争の被害を被った子供たちの震える姿、泣き顔をみると、おじさんの笑いがある世界がいかに大事かということが身に感じ入ります。笑いのある世界を築くこと、多くの笑いあう人と人のつながりが平和を保っていくことだと私は思います。
笑いが絶やさぬ世を願って 青い眼鏡
では、
・・・点字に表したいマイ・フェイバリット・ソング♪218曲目・・・
(訳)
うなされ続けていたね眠りの外の国では
終わりの見えない悲しみごとが空に
横たわっていた
眠れる歌を聴かせて鎮かな(しずかな)花を咲かせて
数えきれない涙の上に粉雪を降らせて
心を持つのは人だけいいえそれは
思い上がり
鳥は歌う虫は歌うなのに人は
なのに人は
樹々は歌う水は歌うなのに人は
なのに人は
悲しみを晴らすために新しく誰を
悲しませるの
夢の京(みやこ)へ帰ろうもう無い国へ帰ろう
時は戻らない夢は戻れる怖れる
ことはない
荒れ果てた野辺に小さな若木がただ
背伸びをしている
夢の京(みやこ)へ帰ろうもう無い国へ帰ろう
時は戻らない夢は戻れる怖れる
ことはない
怖れることはない
中島みゆき「夢の京」の1番とサビの歌詞です♬
点字いちらん表は下記を👀