わたなべさんの青いめがね

点訳ボランティア22年目です

私の7月

今日は東京は、久々の晴れ気温も30℃、まだ梅雨明けしてないのに夏だな~と感じる陽気です。
僕にとって7月は、仏さんがらみの行事が多い月でして法事、父親の命日、お盆(東京では7月がお盆で"にいぼん"というのです)と坊さん暇なしいや僕も暇なしの状況です。
昨日は父親の命日。2010年に他界してもう5年です。5年前の7月10日(土)、今日のように晴れで暑く点字サークルに出かける昼頃、父も病院に急遽入院するということになって僕が先に家をでて玄関先で背中ごしに父の声を聞いたのが最後だった。サークルから戻り夕飯を済ませ、部屋でテレビをつけて勉強しているとテレビでは、"忌野清志郎の特集の番組"が放送されていて(前年に清志郎さんは亡くなっているのですよね)放送してる最中に母親から電話、妹がとり僕に「パパの容態が悪くなった病院へ…」。電話のベルがなったとき、心のどこかに「もしや…」という意識が行動に現れていたのだろう、また清志郎さんの追悼番組が前触れだったのか…僕は電話のベルがなったと同時に服を着替えだして着替え終わった直後に妹から危篤のことを聞き、そして病院に向かいました。
病院に着いて入口のところで母と妹と待ち合い、病棟へ。意識がなく心肺も停止状態に横たわっている父を見て医師からの説明を聞く僕等。ベッドの横にある心臓の状態を示す装置のモニターに映る0になってない数字と波線に少しでもと希望と期待にすがっている僕。医師の説明を全て聞き終わって…「はい」と頷いた僕。
7月10日、午後8時54分でした。
この日の暑さは、じわっとむしっとした長い暑さだったのを覚えている。こんな夜遅いのに、室内(病院内)なのになぜずっと暑いんだよ…と
長くなりそうなので"つづく"とさせていただきます。