わたなべさんの青いめがね

点訳ボランティア23年目です

東京で再び! 世界遺産in東京続き

 こんにちは。今日の東京、曇りと小雨の天気。風は強いですがなんか温い感じで気温も少し高めです。

 昨日更新した中尊寺金色堂展、まだあの真近でお目見えした感動さが残っている週の始まりです。さあ1週間、健康に平和に時がすすめるように仕事の場から心のなかで拝みます。

 まだ感極まる気持ちがあるところで、私なりに中尊寺金色堂のこと、建立した奥州・藤原清衡のことを説明したいと思います。

 藤原清衡奥州藤原氏の初代。父は藤原経清、母は陸奥国を支配していた安倍一族の頭領の娘。清衡が生まれた時、安倍一族と源氏との間で戦が起こっていた(前九年合戦といわれる)。戦いははじめ安倍側が有利だったが、源氏は陸奥国の隣り出羽国を支配していた清原一族を味方につけ、安倍側を攻め、安倍側にいた父は処刑される。安倍一族は滅び、一族の一人である母は敵側だった清原一族の当主清原武貞の後妻となるのであります!そして子どもだった清衡は武貞に引き取られ、武貞は継父として清衡を武士として養育し、1人前の男となっていきました。私青い眼鏡の想像、清原武貞は、戦は避けたい、平和を願う気持ちが大きかった人だったのだと思います。おおらかさがあり、清衡を実子の如く育てあげ世に送った功績のいうのか、素晴らしいと感じます。

 藤原清衡の肖像

 清衡は、妻子ができ兄弟もできます。その兄弟は、上は父母違いの兄、下は母は同じで父が違う弟。後々この兄弟間で戦いが起こります!それは兄vs清衡、弟。この時、兄が突然死んでしまい、朝廷側の采配で清原側が支配した母の出身地安倍側の領地だった陸奥国を治めることを認められます。弟は残りの清原の領地を。しかし弟は、それに納得がいかず、清衡を攻めてきました。同じ母をもつ弟、なんとか穏やかなに済ませたいと考えていた清衡でしたが、弟の攻めは変わらずしかも清衡の妻子が殺されてしまい、ついに清衡は一線を交えます!

 弟を討ち、母、実父側の陸奥国と継父側の出羽国を治める立場に上がった清衡。その道のりは、辛さ、苦しさ、そして多くの人が戦で死んでいった経緯。父を失い、母は敵側の後妻とされ継父に養育され、兄弟でのいざこざが起き、その時その時において戦がつきまとう清衡の歩んできた人生。

 もう、争いがない世の中を築きたい。仏教に願いを求め、清衡の仏と現世が重なる平和な世界の郷をいつまでも守っていきたい。

 この清衡の想いが、金色堂として現している。

 今、あらためて平和を築くこと、守っていくこと、命=個人の尊さというものを誰もが見直し歩き出すことが必要な時だと平泉の世界遺産が教えてくれたと思います。