相模原の障がい者施設「やまゆり園」で起きた事件、あの犯人の心理、目的は何なのか・・・私は犯人の心の状態に注目してしまう。福祉の世界で働く私として、心理学を勉強していた者として。この犯人の大学時代に大きな影響、変化、挫折があって、やれ刺青をほり、大麻に手をだし、間違った思想に陶酔し、歪んだ人間性になっていったなとは解る。そういう人格状態で福祉の世界に入ってきたのか・・・教員になる夢が絶たれたから福祉の世界にくら替えてきたのか・・・「障がい者なんていなくなればいい」「抹殺すべきだ」と言いながらも施設で働いていた理由は何なのか?表向きには「人の役に立ちたい」と欺き、結局最後は己の間違った考えをあらわにし退職し、そしてそのはけ口が衆議院議長への異常な書面の提出、そしてあの犯行・・・
己自身が人生脱線したかのような者が障がい者はいなくなればいい、勝手なことを言えたものだ。この犯人の真の考えは何なのか。私が思うにこの犯人、自分自身が優位でいたい、脚光を得ていたい、印象強くいたい、自分の良かれの姿だけしか目のない奴ではないかと思う。それで自分にそわない者には態度を豹変させ、支離滅裂な言動・行動を見せる。矛盾、身勝手、なさけない者だ。
先日、顔見知りの知的障がい者二人にこの事件のことで私に「もし○○(その人が入所しているグループホーム)にそんな人が来たら怖いわ~そん時はどうすればいいですかね?助けてくれますか?」また別の一人から「○○さん(私)守ってくれますか?」と言われました。今回の事件はほかの障がい者、いや全国の障がい者たちに本当に不安な影響をあたえている。また福祉の世界に勤める我々従事者にも。「私は皆を守れるか・・・むかしやっていた柔道(子供の時だったから今じゃ蟷螂の斧みたいな力だが)が役に立つか」ということをつい考えてしまう。
人はどんな姿であれ、思想、個性を持っている。しっかり自分の前を見定めて1日1日を歩むことで成長していける。時には言い訳作って背けたくなるけれどそういう時にちゃんと自分に向き合えるかが我々の日常での大事な課題だ。
私から今回の事件で亡くなられた方々へ哀悼の意として、この歌を。「点字に表したいマイ・フェイバリット・ソング」5曲目♪
(訳)
また生まれ変わって僕と踊ろうよ
ふたりで寄り添って風になろうよ
こんな駄目な野暮な男のわがままだけど
No, I'll never cry.
もう一度そばにいて
(訳)
今、悲しみ去って空が晴れてく
またひとりで立って歩き出そうよ
こんな馬鹿な弱気な僕を見つめて欲しい
Yes, I'm gonna try.
夢にも逢いに来て
桑田佳祐「愛しい人へ捧ぐ歌」のサビの部分です